2000年 ライオンズクラブ世界大会

 2000年の世界大会は、舞台をホノルルに移し、ワイキキビーチを中心に、文字通りのハワイアンドリームの展開となった。                       柏崎日本海ライオンズクラブとしては、初めての世界大会へのエントリーである。それも333―A地区では最多の8名の派遣団である。ホノルル全市が、ライオンズ一色に塗りつぶされた世界大会の5日間であった。              ハワイ到着翌日のオープニングセレモニーであるパレードは、我々のど肝を抜く幕開けであった。何一つを取り上げてもスケールの違いを感じさせる。ワイキキの海岸線に沿うメイン通りをパレードする、世界各国の参加者は勿論、沿道を埋める観衆も、立ち並ぶビルに鈴なりの観衆の声援もボルテージが最高潮となる。 パレードに参加するライオンズメンバーが12,000人という。加えて各国の先導を務めるマーチングバンドのメンバーが、米国本土からも集められている、その数約3,000人と推測する。従って総勢15,000人のパレードは、まさにオリンピックの開会式の入場を想わせる。                                  参加者の集結地点も、半端なものでは済まされない。午前10時にパレードはスタートしたらしいが、我々にはそれすら確認出来ない。   参加国中最大規模の5,000人の日本ライオンズのスタートは、午前11時頃を回ったであろう。わが国のスタートさえ我々には見ることが出来ない。特に、日本の先導は、浴衣に蛇の目姿の女性メンバーの一団である。他を圧倒したであろう、この蛇の目軍団のパレードが見れなかったのは、極めて残念であった。                     このパレードの最終集団がゴールしたのは、たぶん午後3時頃になったのではないだろうか。各国のパレードは、いろんな角度から審査の対象となったようだが、さすがにパレード慣れしている諸外国の様は見事であった。圧倒的な数で勝負のわが国のパレードは、あまりの数の多さに振り回された感じである。いつか再び世界大会への機会には、今度はギャラリー席に身を置きたいと、しみじみ思ったオープニングパレードであった

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